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ケンカから垣間見えた断捨離の神髄
Days:2017.01.03 Categories:断捨離・掃除・片付け
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日頃は残業つづきで、休日は疲れすぎて、片づけ作業がなかなかできない次女。大晦日に片づけが終わったところで、長女とライン上で「きょうだい喧嘩」が始まっていました。それは断捨離をめぐるケンカでした。
長女と次女、住まいが入れ替わった複雑な経緯
現在、長女は実家住まいであり、次女は実家から1時間弱のところに住んでいます。次女が自分の意志でそうなったのではない事情がありました。
そもそもは長女が1人で住んでいて、次女が実家から通勤していたのです。それが下のような複雑な事情から入れ替わって住むようになりました。(実際はもう少し複雑でしたが)
長女が1人住まい
↓
長女、次女、私が3人で住む(長女の看病のため)
↓
長女、次女が2人で住む、私は息子と仮住まい、夫は1人で自宅に(母の付き添いのため)
↓
次女が1人、私と長女と母が3人で(母宅で介護、母他界)
↓
私と長女、自宅引越しを機に自宅に戻る。次女は結果的に1人となる。
自宅へ戻ることにした当初、長女は次女のところと実家を行ったり来たりするようなつもりでいたのですが、自室のある実家の方が居心地がよくなってしまいました。
次女のところには長女の荷物がある程度置いたままなので、今回次女はそれを整理しようとしたのです。
靴下の断捨離
次女が写メに10足くらいのソックスを撮ってラインにのせてきました。
次女「いるやつをおしえて」
長女「全部いらない」
そのうち2足は、実家にきたときに長女から借りてはいてきたものだといいます。
次女「現役の靴下なのに要らないの?」
新品が1足で、ほぼ新品が3足とのこと。
長女「いや、たくさんはいたやつだよ。足首のゴムがのびてない?」
次女「ぜんぜん。まったく傷んでない」
長女「じゃ、使って」
次女「じゃ、捨てる」
長女「あげる」
次女「あげるってのは捨てるってことだからね」
次女「すぐに要らなくなる物を買って人に捨てさせないで。捨てるのはエネルギーがいるんだよ」
長女「さっきから捨てるっていってるのに」
次女「だから捨てるのは私ですから。自分で捨ててないでしょ!」
長女「はじめはこっちとそっちを往復するつもりだったからね」
長女「自分でも捨ててるけどね」
激しい攻防の末に次女キレる
次女「そういう話じゃないですから」
次女「自分のものは自分で捨てるとこまで責任を持った方がいい」
長女「捨てるのがいやすぎるんですか」
次女「そうです」「捨てるのはいやなもんです」
次女「使い終わって成仏してるならまだしも、新品を捨てるのはエネルギーがいるんです」
長女「捨てるのがいやだからと移動させるだけではよくないよ」
次女「買った人が責任を持って捨てるべき、と言ってるんです」
長女「新品じゃないからね」
次女「まだ使えるものってこと」
長女「それなら新品とはいわない」
次女「揚げ足取りでしかない」
長女「こっちに持ち込んで人に捨てさせるつもりじゃないの」
次女「まだ使えるものを人に捨てさせるのはおかしいといってるんです」
長女「ふーん、何か矛盾してる」
次女「あんたのものでしょ!」(←ついにキレる)
次女「あんたのものをあんたが捨てることになんの矛盾があるの?」
次女「これだれの?」(新たにタオル類の写真)
私「それは欲しいから持ってきて。靴下の良さげなのはこっちに来るときにはいてくればいい」
と、ケンカに気づいた私が介入したことがきっかけとなりやっとケンカは終わりになり、次女は年越しのために実家へ帰省する時間となりました。片づけで9袋のゴミの成果が上がったそうです。
次女が到着した後、あの10足の靴下を結局どうしたのかについては触れないでおきました。再燃させてはやぶ蛇ですから。ほとぼりがさめたころに聞いてみたいと思います。
両極端の2人
上のライン上のケンカには、長女と次女の性格がよく表れています。(長女と次女は2才ちがいです)
次女は捨てられないタイプで、長女はポイポイ捨てるタイプです。同じ家庭に育ってもそんなに開きがあるのです。
私も次女も、これまでに長女に無断で持ち物を捨てられたことがあります。捨てることに痛みを感じていないように思われます。
傷んでいない何足もの靴下を自分で捨てることによって、靴下は十二分にあるから当分買ってはいけないと胆に銘じ、よけいなものを買ってしまう自分の傾向に気づくことができる。
それを人にさせるのは無責任である、と次女は言いたかったのでしょう。
まだ使えるものを捨てる心の痛みと引き換えに思慮深さが増していきます。同じ捨てるのでもゴミを捨てるのとはちがうのです。
ぽいぽい捨てる長女に心の痛みがいくらかでもあるのだろうか?人のものまでも無断で捨てたことがあることを思うと疑問ですが、少しでも感じていてほしいと思います。
人間的成長もできる断捨離を
捨てるものにいちいち心を痛めていては片付くものも片付かないよ、と言う人がいるかもしれません。
ただ要らないからと無造作にどんどん捨てたあとにできた「片付いた空間」。物によっては、悩んで迷って心を痛めながら捨てたあとにできた「片付いた空間」。
両者は、同じように見えても完全にちがう空間だと思います。後者は愛ある空間です。断捨離は物理的に片付くと同時に、人を成長させ心豊かにさせてくれる可能性を秘めていると思います。
大晦日のライン上の大バトルの後、2人はけっこう仲良く初詣に出かけて行きました。
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