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片付け・掃除が苦手な合理主義者ホシウメコのくわしい自己紹介
母を見送った数年後に前期高齢者の仲間入りをした私です。そんなことがきっかけとなったのか、急にシニアの自覚に襲われた上、「体型までシニアっぽくなった」と子供からの警告。
「でも、そんなにあらがわなくてもいいのでは、年をとるのも、いつかこの世を去るのもみんな同じなんだから」という気分です。
とはいえ、カンタンに老いぼれてあの世行きになっては困る事情や理由もあるのです。私がカンタンに老いぼれてあの世へ行くことができない、と感じているわけを聞いてもらえますか?
母の遺品整理

88才で他界した母は「早く死にたい」が口グセでした。そして、「ほんとうは片付けをしなくちゃいけないんだけど・・・」と言いながら熱心にやっていたのは手芸などの趣味のことでした。
そんな母はあるとき急な病に倒れ、私と私の3人の子供たちから10か月の介護を受けた後、あっけなく他界してしまいました。
晩年に数回もの引越しをすることになった母。そのたびに思い切りのいい捨て方をしていたのに、まだ溢れるほどに物を所有していました。買い置き品も半端ではありませんでした。
断捨離デビュー
母の遺品整理をやり遂げたことは、重度の捨てられない人間であった私を断捨離デビューさせてくれました。そして、ほどなく2回目の断捨離実践の時がやってきました。
「我が家」が引越しをすることになったのです。引越しの理由の1つは、家の中が半ゴミ屋敷状態になってしまったことでした。
ずっと仕事をしていた多忙さもありましたが、住む人間の(おもに主婦である私の)心のすさみがつのったのでしょう。だんだんと「スラム化」してしまっていました。
(物心両面での荒廃した状況を「スラム化」と表現しています)
同じ団地内での引っ越しですが、30年振りの引越しです。このチャンスを逃すまい、と気合いを入れて捨てに捨てまくりました。
引越し後のリビング
スペースが増え、物が減った分、引越し後は一定のスッキリした空間のある住まいとなりました。はじめて各自の部屋ができたのに伴い、「リビングに私物を置かない」、という暗黙のルールができました。
リビングに置かれた私物を、私が各自の部屋へせっせと戻し続けることでそのルールは習慣づけられました。
玄関やリビングという共用の空間を、ある程度きれいに保ち、少しだけ文化的になった我が家です。
ADHDと断捨離
実は、私は大きな課題を抱えています。家中で私の部屋が最大の汚部屋であるという事実です。
私の部屋だけが非常に狭いということもあります。ものを詰め込みすぎています。自分のものをはじめとして処分しそびれた母の遺品もあります。
つまり、リビングと私の部屋は天と地ほどの差があるのです。
共用部分の世話でいっぱいで手が回りません。なんとかしたいと思っています。ただ、私は医師から診断を受けたADHDでもあり、集中が続かず、すぐに目移りしてしまいます。
注意欠陥があり衝動性がとめられないタイプです。時々、その衝動性が暴走して大失敗したり、集中が必要な時になかなかできず悶々とします。物事の達成が苦手です。
しかし、何事もADHDだからと決めつけたり、「失敗」をADHDのせいにするような、甘えた生き方をしたくない、とは思っています。
優しかったジョン・レノン
20才で保育専門学校を卒業した私は保育士(当時はまだ保母という呼び名)になりました。2年で気が変わり、「つて」を頼ってイギリスへ行きました。
バイト生活をしながら3年余り過ごしました。(高2で父亡きあと)母を残してきたこともありましたが、いつまでも気分的に気楽なだけの、地に足がつかない生活を続けても仕方ないと、帰国することにしました。
その後、東京で3年余り勤めた某ホテルでのこと。両替カウンターに配属された私は、たまたまビートルズのジョン・レノンの両替をする光栄に恵まれました。ジョンレノンさんは優しい方でした。
欧米流にお金を数えて渡すのですが、その最中におしゃべりをしかけたオノ・ヨーコさんをジョン・レノンさんは「シーッ!」という身振りで制止して、数えている私に向き合ってくださいました。
その1、2年後にレノンさんは銃弾に倒れます。亡くなられたのが40才とのことですから、そのときは38、9才であられたのでしょう。弱冠38、9才だったのだなと思います。
そんなことがありました。
物には心底悩まされていた
簡単に転職などしてきたあたりにADHDっぽさが見てとれますが、3人の子育てをしながら曲がりなりにも二十数年間続けたことがありました。
学習塾です。学力不振のお子さんが、勉強が出来るようになったり、劣等感を克服していくのを見ることは大きな喜びでした。が、影のようにつきまとっていた重い気持ちがありました。
人間いつかは死ぬけれど、その前に仕事場を畳まなければならないと、とてつもない負担感があり憂うつでした。(老後に身辺整理ができていない心境に似ている・・)
というのも、50㎡の賃貸の教室に、たくさんの長机・椅子・2台のコピー機・3つの本棚・教材類・冷蔵庫・テーブル・ソファなどのほかにも、長年であきれるほどに物をどっさり詰めこんでいたのです。
2010年に完全撤退となりましたが、片付けの大変さは尋常ではありませんでした。そのころに断捨離の精神や実行力が少しでもあったなら、と思われます。
重度のうつ病(※)にかかった長女の看病と、脳梗塞で倒れた母の介護を通り越した後で、保育士やベビーシッターや病院事務のバイトを少しだけしていたこともありました。
こうして振り返ると、「継続が難しい」、「片付けが苦手」、「一貫性に欠ける」といったADHDの特徴が浮かび上がります。そして「片付かない物」のために悩まされてきたことに気づきます。
断捨離の能力において、今現在はどの程度かというと、心もとない限りです。先に書いた通りに自分の部屋が特にひどい有り様ですから。
2020年秋現在、3年振りに保育士バイトに返り咲きました。面接で望まれて働ける幸せと良き職場に恵まれた幸運をかみしめ、職場は実に行きたい場所となっています。
今度こそ、継続を成し遂げたい、でも余生が・足りない・・・(笑)
…と思っていたらもうすぐ2年になるという頃に新型コロナに罹患(保育園で感染した実感あり)。重い後遺症で寝て過ごす日々が続きました。休職は2か月しかできずに退職となりました。
現在は「治ったかかな?いや、やっぱり治っていなかった」と思う連続です。
健康へのこだわりはこうしてはぐくまれた
昔から不健康が目立っていた私です。結核の既往歴(幼少時)があり、並外れて風邪を引きやすい体質がありました。
結婚して子供ができてからも、買い物から戻ると疲れがピークで、買ったものを冷蔵庫にしまう前に床に倒れ込むような異常さでした。
むくみや微熱があることが多く、風邪を引くと決まって重症。今思うと、おそらく免疫力がどん底だったのでしょう。
「40代」に受けた検診で慢性肝炎と診断されました。健診をあまり受けないので発覚が遅れました。原因ははっきりしませんが、多分複合的なものだと思います。
慢性肝炎といえばその何割かは肝硬変になり、肝硬変→肝臓がんという経過をたどることから恐れられている病気です。
当時の私は、体調不良の中で自営の塾の仕事と子育てに追われつつも、健康不安をかかえながら暮らしていました。つらい時代で、慢性肝炎のご多分にもれず怒りっぽい性格をしていました。
これが原因だ、と自分で思うのは「シックハウス」と「白砂糖の摂りすぎ」です。結婚後に「新築」賃貸マンションに数年済んだ直後に、「新築」分譲マンションに移り住んだという経緯があります。
シックハウスの空間の中で健康が蝕まれたのは間違いありません。また、白砂糖の害も重篤だったと思います。
白砂糖が有害であると耳にしても真剣に考えることなく、甘いものを食べ放題、白砂糖のお菓子を作り放題していました。
白砂糖の過食でビタミンやミネラルが損なわれると聞いても、不足分は野菜・海藻などから摂ればいい、と安易に考えていました。(補い切れるものではない、ということをのちに知りました)
関連記事:砂糖の害。砂糖と「胃を丈夫にすること」の関係は?
砂糖漬けの、酸性に傾いた身体で、濃厚なシックハウスで眠り、インドア派の生活をしていれば肝臓が悪くなっても不思議ありませんでした。体調が悪すぎて年中医者通いをしていました。
途中、夫の転勤で関西へ移り住んでいたときには、とても古い賃貸マンション住まいでした。新築の住まいとちがい、シックハウスの影響はほぼなかったようです。
また、アレルギーの次女への授乳のために手作りお菓子作りを控える結果になりました。そしてとても空気のきれいなところでした。
好条件が重なったその1年半の間だけは体調も良くてお医者に1度もかからなかったほどです。
その後関東へ戻り、不健康な条件下での生活に逆戻りして、40代半ばのころには、具合が悪すぎる身体を持て余していました。お医者にはかかっていましたが、回復ははかばかしくありませんでした。
ふつうはかからないような重い感染症に1度ならずかかったのも、肝臓がまともに機能していなかったからにちがいありません。
その後、代替療法、民間療法の類や食事療法を取り入れ、その時々の「熱心さ」や「油断」により一進一退が何年も続きました。肝炎の健康不安から大きく解放されたのは2010年前後からです。
そんなことがありまして、「吸う空気」にも「砂糖の摂取」にも、「免疫力を落とすような生活習慣全般」にもふつう以上のこだわりを持っていると思います。
健康であってこその自由
また、「遷延性意識障害」となってしまった今は亡き母のことがあります。「遷延性意識障害」は非常にまれな障害であり、そういう人を見聞きすることはあまりないと思います。
喋れず、身動きできず、でも意識はずい分あり、何とか息をしながらやっと10か月間を生きた母でした。(たいていは亡くなってしまうところ母は持ちこたえてくれました)
この母を見送って思ったことは、「健康であってこその自由な人生だなあ」、というごく当たり前のことでした。自由に生きられないのは不憫です。
その母は日頃、娘の私に負担をかけまい、寝たきりになるまいという気持ちが並み外れて強く、健康には相当な注意を払っていました。それでも脳梗塞に倒れたのです。
健康と片付け
以上のように健康と片付けにこだわりを持っているADHDの自分として、関連のことを本音で書いていけたらと思い、ブログタイトルを「ADHDでも断捨離健康生活」としました。
もっと片付いた生活を早めに手に入れたい、と強く思います。片付け・断捨離ができないほど老いぼれる前にそれを達成するのです。
いえ、「老いても老いぼれない」よう、責任ある老い方をするために行動していかなくては。そして、このブログを放り出さずに続けていきたい、と願っています。
ここまでお読みくださったことに感謝します。ありがとうございます。
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感謝と信頼
初めまして、アマジ(コードネームです)といいます。
今現在主夫をしています。
クオリティを落とさずに意思力や時間のコストを下げて家事をするために、ガスコンロの買い替えを考え、そこからコンロ以外の調理器具も便利さも含め色々考え調べていたところ、おそらく電子レンジを使わないというキーワードから、こちらのブログにたどり着いたと思います。
結論から言って、ホシウメコさんのブログにとてもハマりました。
なんと言うのでしょうか、端的に言えば信頼を置くようになりました。
私自身のタイプが良いと思ったものを信じ込みやすいというのもあると思います。
ですが、プロフィールの言葉を借りれば
『関連のことを本音で書いていけたらと思い』
これがしっかり伝わったのだと思います。
私の知りたい情報がドンピシャでたくさん書いてあるというのが第一で、しかも文章が事細かくて知りたい情報の漏れがないという感じました。
よく知りたい情報をやっと見つけたけど、細かいことだけど気になる部分が書いてないことは多いと感じてます。
ウメコさんの文章にはそれがあまり感じられなくて、その部分が記事を読み続けていくうちに、私の中での信頼が蓄積されていったのだと思います。
それと、体験を事細かに書いてくださってるので、自分が試す前の仮説検証がつかめるので、信頼してオススメされているものにエントリーしようという気になりました。
実際、値段的に後回しにしたものはありますが、かなりそのまんま見習わせて頂きました。
排水口、らっきょう、梅エキス、ビタミンC大量摂取などです。
他にもあったっけな?
ビタミンCはさっそく効果を感じ始めています。
初コメントなのにかなり長くなってしまいましたが、とても感謝しております。
アマジ
こちらこそ感謝です!
アマジ様
はじめまして。
コメントありがとうございました。
まず、気づくのが甚だしく遅れたことを申し訳なく、なんとお詫びしていいのやら・・気づかなかったことがほんとうに悔やまれます。書きかけていながらも完結に至らず、更新できない日々が続いておりました。そんな状態のため、管理もおろそかになっていたとは言え、大変な失礼をいたしましたこと深くお詫び申し上げます。
アマジさんのお言葉を励みにこれからはもっと気持ちを引き締めて取り組んでいく所存ですのでどうかよろしくお願いいたします。温かなコメントをくださりほんとうにありがとうございました。
これにこりずに、またおいでいただけるようお待ちしております。
ホシウメコ
ホシウメコ | 2020.07.22 03:16 | URL